汚部屋卒業までの道(0) はじまりは家族のこと。
部屋のことを考えるようになってから、
ブログやRoomClip、SNS等で我が家の近況をupするようになり、
以前は汚部屋だったんだよー、と言うと、
ありがたいことに驚いていただけるようになりました。
汚部屋とは言え、
モノは積みあがっていましたが、生ごみやペットボトルを放置したことはなく、
ただただモノが多くて散らかり放題の部屋。
(以前は『物部屋』とも言っていましたが、自戒の意も込めて『汚部屋』で統一しました…)
最近、そんな汚部屋からどうやって脱したのか聞かれることがあります。
どうやって…?
どうしたら…?
実はあまり、こう!って意識したことはありません(笑)
ただ、
モノを減らし続けていったこと、
(それでもモノは多い方だと思います)
こうしたい、という目的を持ったこと、
こういう部屋が理想、という具体的な理想を持ったことは、
汚部屋からの脱出に繋がったかなと思ってます。
というわけで、
ゴッチャゴチャだった我が家に
足の踏み場ができるまでを思い返してみました。
まずは汚部屋脱出の始まり。
ちょっと今回の記事は長いです(笑)
以前fc2さんでブログを開設していたのですが、
その時に書いていた記事を一部転記、加筆してお届けします(笑)
まずはワタシの実家のコトです。
ワタシの実家は、ゴミ屋敷に近いです。
近い、と言うのは、一応生ゴミ等の『明らかな生活ゴミ』がないだけで、
足の踏み場がないほどモノであふれかえっています。
使い古した段ボール、牛乳の紙パック、ケーキについていたリボン、紙袋…
ワタシからしたらすべてゴミですが、
母にとってはどれも『まだ使えるもの』
生活が苦しかった時代を思い出すと、なんでもかんでもは捨てられないそうです。
キッチンには3つ食器棚があり、
それでも収まりきらない食器が箱に入ったまま食器棚に積みあがっています。
更にキッチンに作業台が欲しいからと、
ワタシが幼いころ使っていた学習机をキッチンに置いています
(この学習机の上もモノだらけで結局作業場所はありません)
自分の昔着ていた服どころか、
ワタシの幼少期の服からすべて取ってあり、
ムスメがまだ生まれたばかりの頃、
これを使いなさい、私はこれでアンタを育てたんだから、と、
ワタシが使っていた(らしい)布おむつを大量に持ってきました。
思い出として取っていてくれてありがたい、
という気持ちはもちろんありますが、
それを持ってこられても…困りました。
ムスメの夜泣きがひどかったこともあり、
布おむつを洗っている時間がない、という理由で
紙おむつを使いとおしましたが…
母は使われなかった布おむつをまた持ち帰りました。
そんなモノの多い家で育ったこともあり、
モノが足元にあふれている生活が当たり前で、
自分自身大人になってからも随分片付けられない性格でしたし、
モノを捨てることもできませんでした。
ただ昔からずっと、何となく漠然と、自分の部屋が、家が、嫌だと思っていました。
そこから自立し、オットと結婚、ムスメが生まれ…
でもマトモな部屋を『自分で作る』ことは考えられませんでした。
ワタシ自身が汚部屋で育ったせいか、
恥ずかしながら、整理整頓も生活を整えることも、
何をどうしたらいいかわからなかったんです。
インテリア雑誌を見ても、それはあくまで雑誌の中の世界、住む場所が違う、と。
そして片付け方を知らないまま、モノは増える一方の生活。
転機は2012年、
理由はふたつありました。
ひとつは、ムスメが小学校入学を控え、
40平米の1LDKという狭い我が家で
子供のスペースをある程度確保してあげる必要があったコト、
もうひとつは、オットの鬱病でした。
オットが鬱病の診断を受けたのは、2011年の冬でした。
その前から兆候はあったんですが
(食べることが大好きだったのに食に興味を持てない、眠れない、起きられない、家でもずっと会社の話をしている、等々…)
ある朝会社に行けなくなり、オットの手を引いて心療内科へ。
そのままドクターストップとなりました。
その頃は生活も部屋もキモチも最大級に荒んでて…
生きていくにはどうしたらいいのか、
それとも子どもと死んだ方がいいのか…
そればかり考えていました。
部屋を片付けようなんて、たぶんみじんも考えてなかったと思います。
と思います、というのは、
実はオット鬱病真っただ中の生活の記憶があまりなくて。
たぶん生きるのに必死というか、現実を見たくなかったのかもしれません。
ただ、ムスメを撮る写真の後ろに写る背景が…部屋の惨状を物語っていて(笑)
翌年の中頃から徐々に回復の兆しを見せ始めたとき、
偶然、雑誌か何かで
『部屋を整えると気持ちがすっきりする』という文言を見つけ。
ふっ…と自分の住まいを見渡した時、
ああ、これが悪いのか、と、急に思ったんです。
目に映るのは、モノであふれている部屋、
嫌だ嫌だと思っていた自分の実家のようになっていました。
部屋を片付けたって鬱病が治るわけではありません。
鬱病はそんな簡単なものではないし、そこは結び付けちゃいけない。
でも、追い詰められてた部分もあったんでしょうね(笑)
この部屋を何とかすれば、オットは回復するかもしれない、
そう思ったのは確かでした。
そんな時期が重なり、
『片付けなければ』と、初めて自分の住まいと向き合ったんです。
当時の我が家と現状の比較画像です…
過去はあまりの惨状なのでモノクロで(笑)
その1、ダイニング
そもそテーブルどこ?
ここのどこでモノ食べるんだよってかんじですね(笑)
この当時はリビング側にこたつがあったのでそこで食事をしていました。
(ダイニングテーブルの意味は…)
そしてダイニングテーブルの現在。
モノは多いですがご飯は食べられます(笑)
その2、リビング。
モノが多いのにカラーボックスが一枠からっぽだったり。
色んな所でこういう状況ができていました。
現状のリビング。
こたつがなくなりました(笑)
(右端に写り込んでるのは自作ソファのはしっこです)
その3、寝室の押し入れ前。
右斜め上が押し入れの扉ですが、
扉の前にベビーカーがあって、開けらんねーじゃん!てかんじです…
しかも一応家に入れるたびにベビーカーの脚は拭いていましたが…足元はダンボール。
右手前はすべて洋服の山です…
今は収納が置いてありますが、扉は開きます(笑)
beforeがひどいありさまなんですが、
これを見て誰か一人にでも、
こんな荒れ部屋でもなんとかなるんだ、と思って頂ければ^^;
惨状を自覚してから少しずつ、
部屋をどうしたら広く使えるか、レイアウトを考え、
そこにたどり着くにはどうしたらいいか考えました。
そのために、まずはモノを減らすしかなくて。
色々処分しました。
本は1000冊以上処分しました。
洋服や靴、食器類、試供品を含む頂き物の数々、小さなものから大きなものまで。
そして家具も。
あまりに捨てていたので、
アパートの隣の家に住む(よくお話しする)おばあちゃんから
『お引っ越しするの?』と聞かれたほど(笑)
でもそれだけ捨ててもまだモノがある我が家…
以前の部屋はいったいどうやってモノが入っていたのか不思議なくらいです(笑)
少しずつ部屋が片付いて人が呼べるようになってきた頃、
ムスメは小学校入学。
間もなくオットも職場復帰ができました。
あれから7年。
今も日々、収納やレイアウトに手を入れたり悩んだりしながら、
なんとか汚部屋には戻らずに過ごせています。
ちょっと気を抜いたり体調が悪くなるとすぐ散らかるんですが、
ヤバいっていうラインが知らずに出来上がっているようで、
あまり大惨事にはならなくなりました(笑)
家族がリビングでゴロゴロしている姿を見ると、
片付けられてよかったなって思います。
これからしばらく脱汚部屋日記を上げていくにあたり、
昔の写真やメール、古いブログ記事をひっくり返していたところ、
ムスメが片付け前の我が家を見てドン引きしていました(笑)
でも当時ムスメ5~6歳、記憶はあるんです。
ひとつひとつ見るとどれも覚えてるのに、汚部屋の感覚はない。
汚部屋のこわいところって、
そこに住んでる時はどれだけ散らかってても
それが普通で
自分では汚部屋であることに気付かないところなんですよね。
脱汚部屋したことで過去の我が家を俯瞰で見ることができて、
過去の写真見ながら自分でもびっくりしました(笑)
これから少しずつ、脱汚部屋のために何をしたか
思い出しながら書いていきますので
よろしければお付き合いくださいませ。
ここまで長々と読んでくださった方、ありがとうございました。